自分が最も劣っている場所に身を置き続ける
先日、とあるカメラメーカーが主催する写真表現講座に参加してきた。
プロの写真家から数回にわたり、自作の批評と課題をもらうという少人数制のゼミ。
生徒数は上限6人の少人数制なのだが、参加している生徒の中で、圧倒的に自分が写真下手だった。
笑っちゃうくらい他の5人の写真は良かった。
SNSで流れてくる”綺麗な写真”とは別次元の良さ。写真の総体の中に撮影者の明確な思想と哲学が宿っているのが伝わってくる。
ただ悔しいとか恥ずかしいとか、ネガティブな感情はほとんどなく、まだ写真を本格的に始めて日が浅いので「そりゃ、そうだよなあ」という感じ。
最近友人や知人に「写真上手いね」と言ってもらえる機会も増えたところだったので、自分の実力を客観視することができてむしろ良かった。
「その集団の中で自分が最も劣っているという場所に自身の身を置き続ける」
それは、自分自身が成長するために、ずっと意識してきたことだった。常に身の丈以上の環境に挑戦し、自分より優れた人たちから学び、喰らいついていく。その連続が、自分を形作ってきた。
しかし、最近はアドバイザーや専門家、講師的な役回りで、そうした環境とは真逆の関係で社会と接することが多かった。
それはもちろん尊くありがたい状態だが、同時に、「自分がその集団の中で最も劣っている」というあのヒリヒリとした感覚からは、遠ざかっていたように思う。
久しぶりに自分が圧倒的な最下層にいる状況に飛び込むことができ、鈍っていた感覚が戻って来るようでとても嬉しい。


集団のなかで「自分が圧倒的な最下層にいる」というヒリヒリとした感覚を、むしろ「嬉しい」と捉える梶谷さんの姿勢に、強烈な刺激をいただきました。
周囲から評価される役回りが増えるほど、無意識のうちに心地よい環境に留まってしまいがちですが、あえてそこから抜け出し、他者の圧倒的な思想や哲学に触れに行く。その貪欲さこそが、常に第一線でアップデートし続けられる秘訣なのだと深く納得しました。
「鈍っていた感覚が戻ってくる」という言葉のなかに、悔しさではなく、次なる成長への純粋なワクワク感が滲み出ていて最高にしびれます。これからの写真表現がどう深化していくのか、非常に楽しみです!
引き込まれる、とても美しい写真ですね。
わたしも10年前、カメラ教室に通っていました。